はじめてのポスドク in Japan

採択メールを受け取った次の日、
「ありがとう。ぜひそちらのラボで働かせてください。」
という旨のメールを先方に送った。すると、
「いつ頃から始められる?」と返事が来たので、
「4月からお願いします。」と答えた。
そして数日後再び返信が来て、
「すまん、4月からは難しそうだ。。。」
という衝撃的な内容が帰ってきた。
どうやらボスのグラントの都合のようだった。
お金というシビアな問題でなんとも言えないのだが、これによったまた私の
4月からのポジションの問題が再浮上してしまった。そんな時、
当時のボスに呼ばれ、
「隣のラボでポスドクを探している。」
という話をいただいた。
当時私が所属していたラボはbioinformaticsのラボで、そこで私は
次世代シーケンサやマイクロアレイ解析をメインに行っていた。
隣のラボも同様にbioinformaticsのラボで、systems biologyで
有名なラボだった。この時の話はそのラボで当時助教をされていた先生が
准教授に昇任し、新しく研究室を立ち上げるとのことで、そこで
次世代シーケンサの解析を行うポスドクを探しているという話であった。
私が留学を控えている旨を伝え、それでもいいと言ってもらえ、
留学までの間そのラボでポスドクとして働けることとなった。

たとえ、同じbioinformaticsのラボでも、いざ入ってみると考え方の違い、
手法の違い、ボスの視点の違いなど新鮮なことがたくさんあって勉強になった。
ここでは、自分のメインテーマだけではなく、
ラボが抱えるさまざまな研究テーマに参加させてもらえた。
共同研究者との頻繁なSkype会議等は今まで自分ひとりで解析を
行うことの多かった自分にとってはかなり新鮮であった。
しだいにラボのメンバーとも溶け込み、研究結果も少しずつ出てきた時
(大体6−7月くらい)、留学先から
「グラントのめどがたったよ。君をこちらに呼べるよ。」
と連絡を受けた。1か月後にくるかいとも言われたのだが、
折角日本のラボでやった結果をそのままにするのももったいないと
思ったので、研究をまとめるために
「2か月ほどほしい。」
と返し、留学は9月スタートということになった。